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寺島しのぶの乱〈父・尾上菊五郎、母・富司純子が激白60分〉 「娘は女優休業も覚悟の上」。弟・菊之助に対抗し、フランス人夫との息子〈3歳〉を悲願の歌舞伎役者に──

歌舞伎界きっての名家に「お家騒動」疑惑が浮上している。しかも騒動の中心にいると目されているのは、フランス人夫との間に一粒種をもうけている、あの大女優。息子を歌舞伎役者に! 彼女を突き動かすのは、晴れることのない恨みなのか。そのとき両親は――。

「しのぶは『長男を歌舞伎役者にさせたい』と言っていますし、彼女の周囲もそれを勧めているようです。
 私は女房を介して、そのことを聞いていました。女房にすりゃあ、娘も息子も同じ子供。今、倅の息子だけが“初お目見得”とスポットライトを浴びてね。女房から『しのぶが可哀想じゃない』と言われ、(四月五日の取材会では)リップサービスで『うちにはもう一人孫がいるんですよ』と言ってしまった。
 でも、しのぶの長男が(尾上)梅幸(ばいこう)を襲名するといったって、三十歳過ぎ。その頃には私は生きていませんよ。発言権は倅に移るわけですからね、倅が『駄目だ』と言ったら駄目でしょう」
 四月二十四日昼。東京・渋谷区にある邸宅に小誌記者を迎え入れた七代目尾上菊五郎(73)は、柔和な表情で、煙草を燻らせながら饒舌に語った。
 二月末に大量吐血で倒れ、三月公演を胃潰瘍のため休んだ菊五郎の体調については、不安視する声もある。
 そんな最中、菊五郎が発した一言をきっかけに、尾上家には今、「お家騒動」疑惑が持ち上がっている。
 四月五日、東京・歌舞伎座の「團菊祭五月大歌舞伎」に先立ち行われた取材会で、菊五郎はこう言い放った。
「(娘が)どうしても(長男を)歌舞伎役者にしたいって言うのでね。ならせるなら、ゆくゆくは(尾上)梅幸を継がせるかね」

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 五月二日の「團菊祭五月大歌舞伎」初日には、菊五郎の長男である五代目尾上菊之助(38)の長男、つまり直系の孫である和史(かずふみ)くん(2)の“初お目見得”が控えていた。そのタイミングで、あえて“もう一人の跡継ぎ”に触れる発言は、物議を醸した。
 歌舞伎記者が声を潜める。
菊五郎の妻は、女優の富司純子(すみこ・70)。二人の間に生まれたのが、女優の寺島しのぶ(43)と菊之助です。寺島は天性の演技力に恵まれましたが、女に生まれたため、歌舞伎役者にはなれなかった。己の運命を恨み、疎外感を持ちながら育ったといいます。交際していた別の名門の歌舞伎役者との恋にも破れ、梨園の妻になることもできなかった。
 その後、女優として大成したわけですが、今もなお、歌舞伎へのこだわりを捨てていないようなのです。フランス人アートディレクターの夫、ローラン・グナシアさん(48)との間に生まれた長男・眞秀(まほろ)くん(3)を歌舞伎役者にしたがっている。結婚会見で『男の子ができたら歌舞伎役者にしたい』とは言っていましたが、まさか本気だったとは。一族とはいえ、外に嫁いだ娘の子ですし、ハーフでもありますから」
 歌舞伎の歴史を紐解けば、ハーフの歌舞伎役者がいなかったわけではない。明治から昭和初期にかけて、類まれなる美貌で人気を集めた十五代目市村羽左衛門(享年70)の父は、明治新政府の外交顧問として来日したフランス生まれのアメリカ人だったという。
 だが、だからと言って、寺島の長男がすんなり「尾上梅幸」を襲名できるほど、甘い世界ではない。
 二代目市川猿之助の甥で、自らも歌舞伎の舞台を踏んだことがある歌舞伎評論家の喜熨斗勝(きのしまさる)氏は、菊五郎の発言に驚きを隠さない。
梅幸は俳名といって、もともとは菊五郎が日常的に使う“別名”でしたが、現在では菊五郎と同格の大名跡です。菊之助さんに『菊五郎』を襲名させた時、菊五郎さんご自身が『梅幸』になる可能性があると、私は思っていました」
 前出の歌舞伎記者が続ける。
菊之助の妻は、二代目中村吉右衛門(71)の四女・瓔子(ようこ)さん(33)です。現在のところ和史くんの下には妹さんしかいませんが、今後、さらに男子を授かる可能性もあるのです。
 中村勘三郎市川團十郎とスターを続けざまに失った昨今の歌舞伎界において、菊五郎吉右衛門という人間国宝でもある二大巨頭が、孫の和史くんのためにタッグを組み、パッと明かりが点っているのは有り難いこと。なんとかこの状態を保ちたいのですが……」
 しかし、瓔子さんより先に寺島が長男を授かって以降、『女性セブン』(一四年二月二十日号)が「寺島しのぶに焦る弟嫁!」と報じるなど、寺島と瓔子さんが冷戦状態にあるという声は根強い。寺島に対する周囲の違和感を、菊五郎はどうとらえているのだろうか。

ヌードで切り開いた女優人生

「歌舞伎役者の家に女の子として生まれたしのぶには、大変寂しい思いをさせましたよ」
 そう言って菊五郎は目を細めた。
 菊之助が初舞台を踏んだのは六歳の時である。当時、寺島は十一歳。その頃から家の空気は一変し、すべては“総領”である菊之助を中心に回り始めた。
 歌舞伎関係者が当時を振り返る。
「彼女の反抗期は大変でしたよ。高校三年の頃、突然海外に逃避行してしまい、『今パリにいるんだけど』と家に電話を入れ、両親の度肝を抜いたこともあった。
 転機は青山学院大学一年の頃。きっかけは昭和の大女優・太地喜和子さんの一言でした。彼女が自宅に遊びに来た時、初対面のしのぶに対して『あなた、寂しそうね。女優やったらいいじゃない』と言って。真を突いた言葉に涙を流したしのぶは、舞台女優を夢見て、文学座の門を叩いた」
 菊五郎は当時、葛藤を抱えた寺島から将来の相談を受けたことはなかったのか。
「全然ないですねぇ」
 部屋の隅の椅子には、いつの間にか妻である富司純子の姿があった。菊五郎が「ないよねぇ?」と水を向けると、富司は凜とした姿勢で口を開いた。
「いや、あなたにはなかった。『女優をしたい』と言い始めた時、私は『菊五郎・富司の子供だってチヤホヤされるのは最初だけ。ちゃんと劇団に入って勉強したほうが良い』と言いました」
 当初は鳴かず飛ばずだった寺島が一躍脚光をあびたのは、三十歳のとき。ヌードで過激なセックスシーンに挑戦した主演映画『赤目四十八瀧心中未遂』がきっかけだった。
 富司がこう続ける。
「私は心配して『裸になったらお嫁に行けないし、絶対やめたほうがいい』と必死で反対しました。その時、私は主人に『しのぶがヌードになると言っていますが、どうしますか』と尋ねた。でも、主人は『女優なんだからいいだろ』と一言。それを聞いて、私は『凄いな』と思った。主人の一言があったから私は許したんです。
 今思えば、あの作品を私が潰してしまっていたら、一生私は後悔していたなぁと思います。それ以後、私はしのぶの仕事には一切口出ししていません」
 寺島はこの映画で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞。その後の活躍は周知の通りだ。だが、息子を梨園に入れるのであれば、女優のキャリアを諦める覚悟も必要だと両親は語る。
「初舞台となったら本当に母親が大変ですからね。もし子供がグズったら、母親じゃないとダメ。眞秀が初舞台を踏むのなら、しのぶはその月、絶対女優の仕事はできない」(菊五郎
 富司が割って入る。
「前の月からダメです。しのぶに『もしそうなったら、そういうこと(仕事ができない)なのよ』と言ったら、『それも覚悟の上だ』と言っていましたけど」

「結局は実力ですよ」

 富司自身、東映のスター女優だったが、七二年に菊五郎と結婚して以降は、女優業を引退。“音羽屋の女将さん”として日々邁進し、女優復帰を果たしたのは十七年後の八九年だった。
「純子さんは菊五郎さんを常に立て、周囲に気を配って止まない人。豪放磊落な菊五郎さんの尻拭いも厭わず、菊五郎さんはそんな彼女を信頼しきっている。
 でも、結婚後は相当の苦労をしたと聞いています。しのぶさんが産まれてから五年間は長男が産まれなかった。周囲から『今度は男の子ならよろしいのに』と言われて、不妊治療の末、菊之助を産んだ。『ようやく肩の荷が下りた』と言っていました」(音羽屋関係者)
 前出の喜熨斗氏が彼女を評していう。
「私は『梨園の妻になるには』と聞かれたら『純子さんを見習え』と言っています。もともと大女優だったのに結婚後はスパッと辞め、菊五郎さんの毎日の食事管理、ご贔屓筋への挨拶回りなどを立派にこなしている。覚悟を決めてからはドンと構えて動じない。しのぶさんの性格は、純子さん譲りなのでしょう」
 菊五郎は噛みしめるような口調でこう語る。
「僕たちの世界は、どこまで行っても商業演劇。お客さん、ご贔屓様の力って強いんですよ。しのぶが歌舞伎の世界にポンと飛び込んできて役者仲間に『お願いします』と言ったって、周囲が乗るとは限らない。これがとっても難しいことなの。私が生きているうちだったらポンと継がせられるけども、そんなことは許されない。うちには泰次郎、栄之助、栄三郎などの幼名があります。それを継がせて、その後は梅幸になる。その段階を踏んでいる途中でどうなるかはわからない。結局は実力ですよ。
 私が菊五郎を襲名する時はこんなことがありました。新橋に『金田中』という料亭がありまして、父・尾上梅幸中村歌右衛門中村勘三郎尾上松緑、それと会社(松竹)の人が二人。その時代の最高峰が勢揃いして、紋付袴を着た父の梅幸が『皆様、このたび会社から菊五郎という名前をうちの倅に継がせたいという話がございました。ご賛同いただけるでしょうか』と。それで拍手が起こり、次の間で待機していた私は『入りなさい』と言われた。私は黒紋付姿で『皆様、このたびこのようなお話をいただき、ありがとうございました』と。襲名はそれほど大事なものだった。名前っていうのは、先祖からお借りしているものだからね。自分のものであって、自分のものじゃない」
 前出の歌舞伎関係者が音羽屋の今後を占う。
菊之助さんは、しのぶさんの息子が歌舞伎役者になるなんて計算外だったはず。それをうまくまとめたのが富司さんでした。本当に眞秀くんが歌舞伎をやるとすれば、和史くんとはライバル関係になるでしょう。実際、昨年五月の歌舞伎座千秋楽では、和史くんより一足先に、眞秀くんの“初お目見得”が行われています。
 さらに言えば、もし和史くんに弟が産まれた場合、息子がいない吉右衛門さんの養子になる可能性もあります。そうでもしない限り、中村吉右衛門は途絶えてしまうわけですから」
 それに対し、菊五郎はこう否定する。
「(吉右衛門の屋号である)播磨屋を継ぐとか、まったく決めていません」

「倅は先輩のミニチュア版」

 富司もこう続ける。
「まず男の子が(もう一人)産まれたらの話。今はまったくお腹にも来ていないし。わからないねぇ」
 二人の“跡取り”に対しては、どのような英才教育を施しているのか。菊五郎が明かす。
「『寺島に頼まれた菊五郎が眞秀くんの稽古をつけている』なんて報道があるけど、それはありませんよ。眞秀も和史も、尾上菊之丞のところで踊りの稽古をやっています。足をどんどんやるとか、その程度。(眞秀の)初舞台は三年後くらいかな。ハーフの歌舞伎役者の誕生? 面白いじゃないの。よろしいじゃないの。
 和史なんて、まだ二歳でしょう。『お早うございます。和史ですぅ。よろしくお願いします』と言うだけ。まだオムツをしているんですから。お父さん(菊之助)には『大きな声で!』とか言われているけどね」
 寺島と瓔子さんの確執を報じた前出の『女性セブン』を見せると、富司はこう反論した。
「こんなこと全然ありませんよ。去年の暮、しのぶの誕生日には、瓔子ちゃんとカズ(菊之助)がマンションに行ってお祝いをした。この間だって瓔子ちゃんは、眞秀の三年保育の入園お祝いをしのぶに渡していました。しのぶのブログにも、『平和な寺嶋家の中を是非引っ掻き回さないで頂きたい』と書いてありました」
――しのぶさんの夫であるグナシア氏は何と?
「ローランは歌舞伎が好きで毎月来る。日本人より日本が好き。昨年、『め組の喧嘩』の千秋楽で眞秀を抱いたら、感激してボロボロ泣いてた(笑)」(菊五郎
――菊之助さんは近年ドラマなどに出ず、歌舞伎一本に精進していらっしゃる。
「ヤンチャする八方破れの人に華があったりするからね。役者というのは真面目にやっていても、お客さんから見たら面白くないかもしれない。これが難しいんだ。倅の舞台稽古を見に行くと、『もうちょっと破天荒にやれば良いのにな』と思う時もありますよ。倅は先輩の教えた通りにやって、ミニチュア版になってしまっている。もう四十ですからね、そろそろ菊之助のナントカというものを出していかないと」(同前)
――瓔子さんはアドバイスされる?
「聞いたことないですね。お父さんの播磨屋さんが教えてくださる(笑)」(同前)
 菊五郎は、最後にこう“見得”を切った。
「どうぞお書きください、だよ。それによって価値が変わったりということではないんだもん。歌舞伎の将来? 知ったこっちゃあない」
――取材から八日後の今月二日、「團菊祭五月大歌舞伎」の初日。約二千人の観客を前に“初お目見得”を果たした和史くんは、父の菊之助に抱かれ、恥ずかしそうに両手で顔を隠し、愛らしさを振りまいた。その両脇には、二人の祖父が控えていた。
菊五郎さんは『あと一年先でも良いだろう』と言ったそうですが、吉右衛門さんが舞台に立たせたくて仕方がなく『早くしろ』と義理の息子の菊之助さんをせっついた」(松竹関係者)
「私の孫であります和史の初お目見得をさせていただきましたが、ご覧の通り、まだまだ幼き者にござりまする」
 菊五郎が力の籠もった声で口上を述べると、割れんばかりの拍手がこだました。
 幼き者たちの芸の道は始まったばかりだ。

週刊文春」2016年5月19日号