「長期衰退企業」キヤノンの実像 東芝子会社「高値摑み」の深いワケ

 キヤノンは複写機、カメラなどの強い商品、抜群の財務基盤、グローバルに高い知名度を持つ優良企業だ。御手洗冨士夫CEOは経団連会長も務め、今や財界でも重きをなす名門でもある。ただ、よくみれば二十一世紀に入って新たに育った商品はなく、複写機、プリンター、デジカメなど成熟した商品への依存が目立ち、製造業としての「老い」は歴然としている。そのなかで、医療機器メーカー、東芝メディカルシステムズの買収には〝回春〟への期待がかかるが、あまりの高値摑みでむしろ足がふらつく不安が浮上している。

 キヤノンには「高収益企業」のイメージが強いが内実は驚くべき不安要素がある。事業部門は、複写機やレーザープリンターなどの「オフィス」、カメラやインクジェットプリンターの「イメージングシステム」、半導体製造装置などの「産業機器その他」の三部門だが、その売り上げ構成は過去十年ほとんど変わっていない。

 二〇〇六年と一五年の部門別売り上げを比較すると、〇六年に五四%を占めていたオフィス部門は一五年にも五六%と横ばい、イメージングシステムも〇六年の三五%が一五年に三三%とほとんど変化がなく、当然、残る産業機器も比率に変化はない。

 しかも三部門とも一五年の売上高は〇六年を下回っているという共通点もある。結果的にキヤノン全体の売り上げも〇六年の四兆一千五百六十七億円から一五年には三兆八千億円と、十年で八・六%の減少となっている。まごうかたなき「長期衰退企業」なのである。

成長分野を持たない企業

 活力のある製造業では、イノベーションや市場ニーズの変化に対応して、新商品が次々と生み出され、売上高に占める各事業分野の比率は変化していく。自動車であればハイブリッド車電気自動車の商品化で、ガソリン車の比重が下がっていくといった現象だ。精密機器でも当然のごとくイノベーションは起きているはずだが、キヤノンには新たな商品群は見当たらず、分野別の売り上げ比率は固定されている。つまり成長分野を持たない企業なのである。

 一九七〇年に米ゼロックスの独占を破る独自方式の複写機を発売するまでキヤノンはカメラメーカーだったが、複写機によってメーカーとしての内容を大きく転換し、さらに八〇年代にインクジェット方式のプリンターを開発、オフィス機器の総合メーカーに飛躍した。二十世紀のキヤノンイノベーションを先導する躍動感のある企業だったのだ。

 三月十七日、キヤノン東芝の医療機器子会社、東芝メディカルの買収を発表した。富士フイルムホールディングスコニカミノルタに競り勝っての買収だったが、金額は六千六百五十五億円。当初、業界で言われた三千億~四千億円という企業価値を大きく上回る価格となった。さらに一六年三月期決算に子会社売却の特別益を組み込みたい東芝首脳の意を汲み、各国の競争法規制当局の審査期間をバイパスするために、特別目的会社(SPC)を間に挟むという奇策を取り、取得代金を即日、東芝に振り込んだ。

「御手洗さんは何が何でも欲しかったんだ。執念だよ」とキヤノン関係者は語る。デジタル医療機器という成長分野に参入し、キヤノンの新しい柱にしたい野心は、伸びの止まった成熟商品しか持たない長期衰退企業ならではである。問題は買収金額の妥当性、キヤノン自身の戦略との整合性、シナジー効果だろう。

 東芝メディカルはコンピュータ断層撮影装置(CT)、磁気共鳴画像診断装置(MRI)、超音波診断装置などの画像診断装置の大手。CTは世界で二〇%台のシェアを握り二番手、国内では五〇%のシェアを持ちトップだ。赤字部門が並んだ東芝では収益力でぬきんでた子会社だった。

 キヤノンは医療機器部門を育てようと力を入れてきたが、眼底カメラが目立つ程度で、伸び悩んでいる。東芝メディカル買収は願ってもないチャンスだった。画像診断装置は光学系やデジタル処理の技術で世界のトップを走るキヤノンにしてみれば近い分野であり、シナジーを働かせやすい。

 高齢化の進む先進国はもちろん、医療水準の向上が課題となっている中国、インドなどの大人口国に大きな需要が眠っている。キヤノンとしては他社に渡すわけにはいかなかったのだろう。

最も必要なのは御手洗氏の引退

M&Aの成功確率は三〇%」と言われるが、失敗するM&Aに共通するのは買収金額の上振れだ。東芝メディカルも六千六百五十五億円にせり上げられたことで、同社の直近の営業利益の約三十七倍の値付けとなった。一般に妥当とされる二十倍の二倍近い水準。

 のれん代(買収金額から純資産を除いた金額)の詳細は明らかになっていないが、仮に四千億円とすれば、日本の会計基準では年間二百億円もののれん代償却が二十年間必要になる。米国の会計基準を採用しているキヤノンはのれん代償却こそ当面は必要ないが、東芝メディカルの企業価値がシェアダウンや訴訟などで毀損すれば、一気に償却を迫られる。

 キヤノン当期純利益は今も二千二百二億円(一五年十二月期)にのぼるが、最盛期の〇七年十二月期の四千八百八十三億円からは半減以上落ちている。さらに七千億円近く持っていた現預金は計算上、今回の買収で空っぽに。強固な財務基盤ももはや過去のものだ。

 東芝メディカルのライバルは米ゼネラル・エレクトリック(GE)や独シーメンスといったキヤノンをはるかに上回る巨大企業であり、いずれも医療機器分野を最重点にしている。キヤノン資金と技術、ブランドを投入しても研究開発競争、グローバル市場でのマーケティングで勝ち抜けるかきわどい勝負だ。

 研究開発に力を入れ、特許戦略でも名をはせたキヤノンだが、次世代ディスプレイとして巨額資金をつぎ込んだ表面伝導型電子放出素子ディスプレイ(SED)の失敗など最近では挫折の連続だ。自社技術で成長できなくなったためにM&Aに賭けるとすれば、研究開発型企業の末路といってもいい。キヤノン社内から聞こえてくるのは、経営層の保守化、挑戦心の希薄化だ。

 優秀な研究開発人材を投資効果の測りやすい組み立てロボットなど工場自動化などに集中させていることが次世代分野を開拓できない大きな要因となっている。巨人ゼロックスに挑み、新しい複写機を開発したチャレンジャー精神を取り戻せなければ、東芝メディカルの買収も花開かないだろう。「挑戦するキヤノン」に最も必要なのは八十歳でなおトップに君臨する御手洗氏の引退であるのは明らかだ。

選択 2016年4月号