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《土着権力の研究》【第60回】島根県 第二十五代 田部長右衛門 名跡継いだ二十一世紀の「若様」

 日本一の山林王―。林業が衰退した現在でもなお、この称号を冠するにふさわしいのが、奥出雲の田部家だ。古くは江戸時代にたたら製鉄を営み、比喩ではなく一帯の山林を保有し地元に君臨し続けてきた名家である。

 政財界に圧倒的な影響力を持ち、地元メディアをも支配下に収める。そうした意味で、田部家は典型的な土着権力者といえる。一方で、各地のこうした権力者が地元の利権を差配し、我田引水を繰り返すのと比較すると同家は少し趣が異なる。出雲地方で地元民から畏れをもって敬われつつ、静かに権勢を保ち続けているのだ。その田部家も二十一世紀に入り、否応なく時代の波に揉まれている。

 田部家の当主は代々「長右衛門」を名乗ることで知られている。昨年十一月、現在の当主である真孝氏が、二十五代長右衛門を襲名した。先代が一九九九年に死去して以降、十六年もの間空席だった名跡を三十六歳の当代がようやく継いだのだ。

「島根の天皇家」のようなもの

 先代が亡くなった当時、真孝氏は弱冠二十歳、まだ中央大学法学部の学生だった。その後、二〇〇二年にフジテレビに入社し、東京勤務を皮切りにパリ、ニューヨーク、ロンドンの支局を渡り歩いて八年間の修業を積んだ。

 一〇年四月、株式会社田部の代表取締役社長として故郷に戻った。その際に妻を連れて帰り、同月十八日には松江市内のホテルで披露宴が催された。出席者は三百人程度と、世間が想像したよりも小規模だったが、居並んだ顔ぶれは錚々たるもの。フジの日枝久会長や小渕優子少子化対策担当大臣(当時)のほか、地元の国会議員市町村長が軒並み集結し、田部家の威光が衰えていないことを証明した。披露宴では、田部家伝統といわれる餅つきが披露され、真孝氏が「この場に父がいないことが残念」と挨拶すると、目を潤ませる出席者も多くいたという。

 現在、長右衛門氏は前述した株式会社田部の社長のほか、田部家の資産管理団体の一つである田部美術館の代表理事や、山陰合同銀行取締役など、約三十の肩書を持つ。一〇年四月の帰郷と同時に、田部美術館がフジテレビと並ぶ大株主である山陰中央テレビに入社、一四年六月に常務取締役にも就いた。地元事情通が語る。

「時期を見て(山陰中央テレビの)社長となるのは既定路線です」

 社内では「若」の愛称で呼ばれ、将来の社長就任は自然なこととして受け入れられている。前述した田部美術館は同放送局の大株主でありながら、株主総会で意見を述べないことが定款で決まっている。それでもなお、社長就任を疑うものはいない。

「田部家は島根の天皇家のようなもの」という声をよく聞く。泥臭くない現在の長右衛門氏はその象徴のようなものなのだろう。

 しかしかつての田部家、特に戦前に衆議院議員、戦後には島根県知事を三期務めた二十三代目は積極的にその権力を行使したことで知られる。最も有名なのは、竹下登元首相との関係だ。「ゼニはすべて俺が出す」と竹下氏の学費の支援から、議員当選、佐藤栄作元首相の派閥入りまですべてをバックアップした。また、竹下氏の秘書を務めた青木幹雄参議院議員も、二十三代目の秘書を務め知事公舎で寝食を共にしたことが、現在の地位を築く礎となった。

 現在の当主は政治にそこまでの影響力を行使するつもりはない。しかし、圧倒的存在である田部家の威光を利用する人間はいる。その筆頭は青木幹雄氏だろう。同氏は一〇年の参院選で、息子の一彦氏に地盤を譲った。当時地元では「竹下家ならともかく、竹下の秘書上がりの青木家が世襲するのはけしからん」という反対論が根強くあった。竹下氏の地盤は、弟の亘氏が継承したが、元首相がこれを自ら指示することは最後までなかったといわれる。

行き詰まるメディア事業

 青木氏は当時、先手を打って地元県議や出雲市議にこう告げた。

「田部の若が戻ってくるから、田部の家に戻さないといけないわね」

 一〇年に帰郷する真孝氏に大政奉還をするという発言だ。しかしこれは、真孝氏に政治家への野心がないことを見越した青木氏の高等戦術だった。特に、青木氏の引退を見据えて準備を進めるライバルを、田部家の名前を出すことで抑え込むことに主眼があったようだ。地元県政関係者が語る。

「青木氏は真孝氏が事業家志向であることを知った上で情報操作を行ったが、仮病引退説が流れた」

 その後、青木氏はギリギリまで自身の引退について言質を取らせずに、突如として体調不良を理由に、有無を言わせず一彦氏の代役出馬を決めさせたのだ。

 田部家が影響力を及ぼす山陰中央テレビ山陰中央新報という地元二大メディアもまた、かつての同家の意向を汲むように、淡々と自民党べったりの報道を続ける。両メディアで、農協や畜産業、建設業界といった自民党支持団体への批判報道は出ない。いまだに自民党は、遺物と化した、山陰新幹線や瀬戸内海へとつながる伯備線のフリーゲージ化を声高に叫んでいるのに、である。

 前述した一〇年の参院選に、山陰中央テレビの看板アナウンサーが民主党から出馬した際には、社を挙げて阻止に動いたことは記憶に新しい。説得が不可能とみると、同局幹部が青木氏の下を訪れ、「先生、一生懸命応援しますから」と詫びを入れたのだ。今夏の参院選では、一彦氏が改選を迎える。鳥取との合区となった初めての選挙だ。野党統一候補は鳥取出身の福島浩彦氏が出馬を表明している。ここでも社を挙げて、自民党を支援するものとみられている。

 しかし、足元では山陰中央テレビの経営状態は好調とは言えない。地方局経営力の目安と言われる、全放送時間に占める自社制作番組の比率は七・八%(一四年四月)に低迷し、系列のフジ、関西テレビの番組を電波に乗せるだけの放送局にほとんど成り下がっている。ここにきてフジの経営状態が思わしくないため、番組をネット放送することで入る広告収入も同時に減少している。田部家の威光に頼る、惰性の経営は曲がり角を迎えつつある。新聞市場全体が縮小を続ける中、地元シェア七割を誇る山陰中央新報にも同様のことが言える。

 当代の長右衛門氏は、そんな状況を知ってか知らずかソフトな地元振興に力を入れる。山林事業や食品関連事業を行う株式会社田部は、出雲大社前や地元雲南市の道の駅に地元食材を使った土産物店を出店し話題を呼んだ。最近は長らく途絶えていたたたら製鉄を観光資源として復活させる試みにも取り組んでいる。

 今後も田部家の影響力がおいそれと減退することはないだろう。また、政治家が虎の威を借るように利用するだろうが、名実ともに代替わりした田部家は確実に変容しつつある。

選択 2016年4月号