藤原紀香は知っているのか? 片岡愛之助「隠し子の母」怒りの告発

「思った以上に亭主関白、日本男児。周りの方にいつも優しい。ひょうきんで家の中では笑いが絶えない」。新婦は笑顔で新郎をこう評したが、一見ジェントルに見える愛之助には紀香の知らない素顔がある。事件が起きたのは帝国ホテルでの“金屏風会見”の翌日だった。

「十二年間も自分に会いに来ようとしない父親が、知らぬ間に結婚を決めて金屏風の前で笑顔でいるのを見て、高校二年生の息子はどう思うでしょうか」
 こう語るのは大宮美絵さん(47・仮名)。五年前、片岡愛之助(44)との関係を報じられた女性だ。
片岡愛之助 妻と子 隠し続けた理由〉(女性セブン二〇一一年三月三日号)
 記事は、愛之助には大阪・北新地のホステスA子さんとの間に男児がいるという内容だった。このA子さんこそ、美絵さんである。
「当時、週刊誌の記者さんが来ましたが、取材には一切答えませんでした。答えるのは今回が初めてです」
 三月三十一日の愛之助藤原紀香(44)の結婚会見から二週間。これまで長年にわたって沈黙を守ってきた美絵さんが、小誌の取材に応じたのには理由があった。
「結婚会見の翌日、私の代理人である弁護士から、『先方が(息子の)DNA鑑定をしてくれと言っている』と聞いたのです。五年前、隠し子騒動として報じられたとき、自分の息子だと発表したにも拘わらず、今さら何で? と強いショックを受けました。弁護士は『いろんな人に言われてるんだろう。受けませんよね?』と言う。今まで十二年間、息子に対して『一回会ってご飯でも食べようか』という話もないし、『元気か』の一言も一度のメールもない。それで今度はDNA鑑定。息子をどうするつもりなのでしょうか」
 親から子、子から孫へと血筋を通して受け継がれる歌舞伎の世界。結婚会見で跡継ぎについて聞かれた愛之助はこう答えている。
「僕自身は養子で片岡家に入れていただいた。例えば、愛之助の名前をどうしても使わせたいのに、子供がいないとなれば、養子でも芸養子でもかまわない」
 一方の紀香はこう返した。
「そうは言って下さいますが、彼の子供を産みたいと思うのが女ごころ。無理をせず二人で相談しあって、やっていければ」
 美絵さんがDNA鑑定要求の事実を知ったのは、まさにこの翌日。家庭を持つにあたって、愛之助の心境に変化があったのか。それとも周囲の意向なのか。
 愛之助は七二年、大阪府堺市生まれ。歌舞伎界の子供ではなく一般家庭の出身で、松竹芸能で子役として活動するうち、故・十三代片岡仁左衛門(九四年没)の部屋子となり、小学四年生のときに「片岡千代丸」としてデビュー。高校を卒業すると、九二年に仁左衛門の息子の片岡秀太郎(74)の養子となり、「六代目片岡愛之助」を襲名した。
 隠し子騒動が報じられた当時、愛之助は暴行事件で謹慎中だった市川海老蔵の代役として京都南座での公演を務めた直後で、にわかにその名声が高まっていた。
 騒動を受けて、大阪松竹座で釈明会見を開いた愛之助の口から明らかにされたのは、「女性との入籍も、子供の認知もしていない」という事実。「結婚しなかったのは、二人で話し合い、それぞれの生き方で行こうと決めた」「(認知は)子供が大きくなって、本人の意思を聞いて決める」と説明した愛之助だが、美絵さんはこう語る。

「自分食べれなくなるで」

「『それぞれの生き方で行こう』なんていう話し合いは、一切していません。彼は何も言わず、家を飛び出してフェードアウトしていったんです」
 美絵さんが愛之助と出会ったのは、十八年ほど前だという。
「大阪のミナミで中華料理店を経営する知人から、『美絵ちゃんに紹介したるわ』といって会わされたのが彼です。彼は二十代半ばで、まだ無名の歌舞伎役者。私は三歳年上。当時は北新地でホステスをしていました。当時の私はサッカー選手やボクサーとか、派手な世界の人との付き合いが多かったのですが、彼は『芸能界にいるにしては、フツーの人やなぁ』という印象でした。それで話が合ったというか。最初はメールを交換して、それから親密になりました。私のマンションは難波の松竹座の近くにあったんです。当時、彼は堺の実家暮らしでしたが、だんだんとうちに泊まることが多くなりました」
 美絵さんが愛之助の実家に遊びに行くこともあり、愛之助の実父母も公認の恋人関係だったという。
 交際一年後の九九年、美絵さんは妊娠する。それを聞いた愛之助の反応は「困ったな」というものだった。
「『芸養子なので(養父の)秀太郎さんにも言いにくい』と。認知というのは戸籍に入れるのとは別なのに、『戸籍に入れるんやったら、(当代の)仁左衛門さんにも許可を得ないとあかん。そんな話を今のオレはできない』と。なら、いつすんの。私が話をしに行く、と言ったら、『そんなんしたら、自分食べれなくなるで』と言うんです。『オレの仕事も全部なくなって、オレの収入もなくなって、松竹から追い出されて、歌舞伎もすべて失うことになるねんで、それでもええの?』と言うんですよ。それでもええの、とか言われたら……。この人から歌舞伎をとったら可哀想やなと思って、ずっと黙ってたんです」
 それでも愛之助の実父母との関係は良好だった。その実母は美絵さんが妊娠中にがんで亡くなる。美絵さんは彼女を看取った。
「(臨終の際に)『ご家族の女性だけ』と言われて、私はお母さんのご遺体をきれいに拭いてあげました。お母さんは本当に彼を可愛がっていましたし、彼もお母さんの話をすると止まらなくなるほどです」
 〇〇年、男児が生まれると、愛之助大阪府内のマンションを購入して、妊娠を機にホステスの仕事を辞めた美絵さんと男児との三人での暮らしを始める。
「息子の名前は彼の実のお父さんがつけはったんです。愛之助の本名の『寛之』から一文字取りました。初孫でしたから、妊娠がわかったときから『ちゃんと認知してあげないといかんぞ』とずっと言ってくれて。生まれてからも会いに来ては抱っこしてくれたんですけど、お母さんが亡くなって一年後、お父さんも自転車に乗っていたときに倒れて亡くなりました。くも膜下出血でした。彼(愛之助)には、『オレがおれへん場合は病院へ行ってあげて』と言われていましたが、最期は彼も私と一緒に看取ることができました」
 愛之助は前述の釈明会見で、母子とは三、四カ月ほど一緒に暮らし、その後は会っていないと説明していた。息子が自分を父親と認識しているかはわからないとも語っている。だが、美絵さんはこれを否定する。
「彼が出て行ったのは息子が幼稚園の年中(四~五歳)のとき。もちろん父親が誰かということはわかっています。幼稚園でも友達のお母さんから『パパは歌舞伎役者でしょ』と言われることもありました。(同棲は)割とあけっぴろげにやっていたんです。三人で松竹座の近くの生國魂神社にお宮参りにも行きましたし、幼稚園に車で送り迎えしたこともあります。それが、何かちょっとずつ……。やっぱり売れてきて、家を空けるようになって。

「パパ、どこへ行ったん?」

 そのうち、もうずっと帰ってこない時期があって。息子は『パパ、どこへ行ったん?』って言いますし。パパはちょっと今仕事で遠くへ行ってるんだよ、ということでなだめてはいたんですけど。連絡はメールとかではつくんですが、電話は出ないようになって。幼稚園の父兄参観の連絡を入れたときに、『そんなん行けるわけないやろ』と返事がきて、もう帰ってこないんやと思いました」
 家族のことを知る近所の目もあり、大阪のマンションに居づらくなった美絵さんは京都へ移った。大阪のマンションを貸しに出して家賃収入を得ながら、アルバイトをしつつ、夜間学校に通って資格を取り就職した。息子にお金が必要なときは愛之助にその都度メールでお願いして、振り込んでもらったという。
 隠し子発覚報道は、息子が小五のときだった。
「息子の学校では授業でパソコンを使うんですね。それでみんな同じ画面で検索の仕方を教わっていたら、ヤフーニュースでそのことがバーッと出てしまって。先生が慌てて『みんなパソコン閉じて!』と言ったそうです。同級生のお母さんから教えられました」
 一方の愛之助は一三年に「半沢直樹」(TBS系)の国税局統括官役でブレークする。だが家を出て行って以来、息子に会いに来るどころか、連絡を取ろうとすることさえ一度もなかった。
「小学校から私立に通わせているのですが、入学金も出してもらっていません。それでも息子には『パパが出してくれてるのよ』と言い続けてきました。いつかちゃんと(実子として)認めてくれるというのを期待していましたから」
半沢直樹」が大ヒットの頃、愛之助はタレントの熊切あさ美(35)との交際が報じられていた。
「一四年の年末、突然、『お金のことでゴチャゴチャ言われるのもいややから、こっちもこっちで代理人立ててるし』と言って、弁護士から連絡がきたんです。定期的に養育費が支払われるようになったのは、弁護士とのやり取りがあってからです。認知についても近いうちに手続きを取る、ということでした」
 美絵さんにしてみれば、息子が成人するまでの目途が立ち、ホッとしたところもあったが、多感な年頃の息子は複雑な様子だった。
「熊切さんとは彼が別れも告げず、彼女の家を知らぬ間に出て行ったという報道を知って、『やっぱりね』と思いました。
 息子もその頃まで彼を悪く思っていなかったはずです。友達が来るときには隠しましたが、部屋には彼の写真を飾っていましたし、『お父さんに会いたい』『歌舞伎を観たい』なんて話していました。でも熊切さんとの報道からは何も言わなくなりました。そして今回の金屏風会見です。息子とはその話は一切しませんが、最近は会いたい? と聞いても『いや、別に』って。それにDNA鑑定なんて可哀想すぎます」
 兵庫県に住む紀香の父親に、愛之助の隠し子について訊ねると、こう答えた。
「親として言えることは、古来伝統のある世界で育まれた素晴らしい青年で、親として私どもは大変喜んでおりますということでね、これから素晴らしい家庭を築いてほしいと、そういうことだけですねん」
 愛之助の所属事務所に事実確認の質問を送ったが、期限までに回答はなかった。
 歌舞伎役者の子供は婚外子であっても手厚く育てられるというのは、都市伝説であった。愛之助が紀香に贈った婚約指輪は推定二千万円。赤十字広報特使として、これまで恵まれない子供たちなどへのボランティア活動に精を出してきた紀香は、美絵さん親子の現状に何を感じるだろうか。
週刊文春」2016年4月21日号